あなたの人生の映画『ザ・ルーム』感想文

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久しく名のみきいていたポンコツ映画の聖典『ザ・ルーム』の意味不明を以てして鳴る内容を、明晰暢達な日本語字幕、しかも当世風の軽妙と脱力をそなえたパッケージにみごとに移しえた配給会社と映画館の功績を称えたい…というのはユイスマンス『さかしま』の澁澤龍彦訳に対する三島由紀夫の評のパロディですが、なぜ三島由紀夫かといえばなんか文豪の名前とか出して映画に箔を付けてあげたかった。文学。だってこれ純文学でしょ。芸術でしょ。むしろ三島でしょ? なにがむしろなのかは分らないが『ザ・ルーム』が三島文学に匹敵する芸術作品であることは言を俟たない。

いや感動したナァ。みんなZ級映画って好きじゃないですか。でそういうのって大体は確信犯じゃないですか。Z級映画という言葉はかの『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を評して言われたのが最初の使用例だとされているけれども、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』だって『ケンタッキー・フライド・ムービー』あたりの影響の色濃い確信犯的なバカ映画だから天然じゃないですよね。養殖のZ級ですよ。それはそれで面白いけれども、でもそこに感動はない。

『ザ・ルーム』がすごいのは天然のZ級なんです。わかりますかどういうことか。ガチの本物。ヤラセなしのリアル。ネタとして作ってないし、手抜き仕事として作ってるわけでもない、この製作・監督・脚本・主演のトミー・ウィソーは本気でA級を作ろうとしてZ級を作ってしまった…わかりますかこのことのすごさが! この…希少性! この衝撃! この感動! それを伝えるに適切な言葉を僕は持たないが! とにかくこの感嘆符の多用っぷりからそこらへん汲んで欲しい! 人間を信じようって気になった! 世の中まだまだ捨てたもんじゃないなって思いましたよ! 『セブン』のラストでモーガン・フリーマンがそういう台詞を言いますよね! あの気分ですあの気分! 『ザ・ルーム』を観た後は!

映画の内容といったらトミー・ウィソーが婚約した彼女に浮気されて悲しむだけという壮絶にどうでもいいものでしかないのに、しかも全然面白くないのに、にも関わらずこの多幸感。映画の持つ力をこれほどまでに感じた映画体験は今までになかったかもしれない。折しもZ級の巨匠エド・ウッドの代表的駄作『プラン9・フロム・アウタースペース』『死霊の盆踊り』(※脚本のみ)の二本がリバイバル上映中ですが、それと比べても決して見劣りしない。本当に駄作だ。歴史に残る駄作。あぁ…本当にこの映画は駄作だ! トミー・ウィソーは21世紀のエド・ウッドで生きる伝説です!

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それにしても一体どこからこの映画のZさを語ればいいのだろう。一応Zじゃないところから言うとウィソーの彼女役の人が巨乳のカワイコチャンで同じコンビニでバイトとかしてたら絶対に超好きになる感じの人。近所にいてもおかしくないが探そうと思うと案外いないぐらいの可愛さが絶妙。たぶんウィソーもこの人が好きになっていたので長すぎる上に無駄にカットを割りすぎていて意味もなく構図とか背景の小道具に凝りすぎてもいてかつBGMのロマンティックなバラードがいちいち時代錯誤で臭すぎる、しかもそれが劇中何回も唐突に入ってくるからロマンティックなバラードが流れ出す度に場内爆笑という一般的な映画ならば考えられないベッドシーンがあるが…挿入なしとはいえウィソーあれ本気だったと思う。本気で求愛のつもりで前戯的にバラの花びらをこの女優ジュリエット・ダニエルさんのキュートな裸体にかけていたと思う。すごいよな。Z級じゃないところから書いていたはずなのに気付いたらZ級領域に入っちゃってるんだもんな。Z級からの逃げ場がねぇのかよこの映画には! ねぇよ!

というわけでジュリエット・ダニエルさんが魅力的という以外は全部Z、そのもうZ加減がもう、本当にもう、なんていうか、とにかく意味がわからないし…意味がわからない。ダニエルさん以外の登場人物はみんな主人公ウィソーのことが大好き設定でウィソーのことを聖人のように慕っているが『ザ・ルーム』のタイトルが示すように基本的に家から出ない映画なのでなんでウィソーがそんなに慕われているのか全然わからないし、いやそんなものはぬるいところで、やたら家にやってきてはすぐ帰って行く近所の坊やが何者なんだとか…いやそれもぬるいところで! 上手く伝えられずに歯がゆいが!

全部が酷い、全部がZ、しかもここが重要なのですが狙ったZじゃないから普通に退屈なだけの会話シーンもちょいちょいあって…その退屈さがZシーンのZ加減と強烈なコントラストを成してよくある養殖Z級を遙かに超えたアトミックな爆笑を提供したり、退屈なだけのはずの会話シーンが何度も繰り返されることで天丼的なジワジワ笑いを醸し出していたり、そして退屈であることによって凡庸極まる脚本にもかかわらず先読みしようのない予測不能な展開を形作っているという…奇跡だと思う。

もちろん映画をまだ観てない人はこんな感想を真に受ける必要はない。こういうのを読んで期待を募らせていざ実物に臨んでみたら本当にZ級でガッカリしたという倒錯した(?)感想を抱かれてしまってはこちらとしても不本意なので、書かれている表現よりもつい大げさに表現したくなってしまう心情を汲んで欲しいところですが、とはいえ、その心情は偽りではないのだから僕にとっての『ザ・ルーム』は確かにそんな映画だったわけだ。

感動したっていうのも嘘じゃないんですよ。芸術じゃんっていうのもふざけて言ってるんじゃないんですよ。あまりにも凡庸にしてデタラメ、会話は噛み合わずストーリーは同じ事を繰り返してばかりで一向に先に進まない、かと思えば唐突に訪れる衝撃的な結末、伏線は回収されず、そもそも伏線だったのかどうかすらわからず、全体として何の意味があったのかわからないシーンだらけ、事の発端がウィソー(の演じる役)が会社で昇進できなかったとかいうめちゃくちゃ卑近な出来事、ウィソーのナルシスティックな大根芝居に見える主観と客観の大幅なズレ、そのズレが生む悲劇と喜劇、「それが人生さ」とのウィソーの名台詞のつもりで言ってる迷台詞があるが…人生だよね。人生としか言いようがないですよ、こんなものは。

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だって我々の人生もだいたいこんな風に下らなくてデタラメで無意味じゃないですか。昨日言ったことと今日言ったことが矛楯してるなんて普段は意識しないですけど誰にでもあるじゃないですか。こうやって映画で見ると同じ台詞の繰り返しはいかにも無駄で意味がなくて笑えてしまう。でも同じこと、みんな無意識にやってますよね、日常生活の中で。

いつか回収するつもりだった伏線がいつの間にか無かったことになっているのが人生というものだし、なんの伏線もなく唐突に劇的な出来事が起こってしまうのもまた人生ですよ。ベッドシーンにかかるロマンティックなバラードは信じられないほどダサくてバカバカしいけれども、現実世界で同じ事をしている時に頭の中でこんなダサくてバカバカしい音楽が実は鳴ってる人だって結構いるんじゃないですか?

だから『ザ・ルーム』は一人のつまらない人間が自分の人生、自分の見る世界をそのままフィルムに焼き付けた人生そのものの映画なんですよ。そういうのを芸術って言わないんだったら逆に何が芸術なんですかって話ですよ。純文学と言ったのもそういうことで…凡俗な生活の中の悲劇と喜劇が技巧なしの自然体で結びついているんだから本当にすごいよ、これは三島由紀夫が観たら絶望して筆を折ったかもしれないし、でもその絶望を笑い飛ばして割腹自殺は断念したかもしれないな。そこまで言うかと思われるかもしれないが今はそこまで言いたい心境なんだ。

泣いたよ。上映中何回も泣いた。泣き笑いだけれども既にぐしょぐしょの手で拭うその涙はあたたかかった。すごい感動的な映画だなって思うでしょう。でも実際観ると何から何まで本当に信じがたいZだからZ戦士は覚悟して自己責任で観て下さい。マジですげぇんですよ劇伴さえ映像とチグハグな中世ファンタジー映画風で…。

※ウィソーの怪しいご尊顔と少しも映画の完成度に寄与しない筋肉質の肉体を見ているとこの人が仮に80年代半ばくらいのハリウッドで職を探してたらB級筋肉アクション映画の雑魚テロリスト役として色んな映画に呼ばれていたかもしれないと思えてきて、生まれてくる時代を間違った人なんだろうなぁってしみじみしてしまう。人生だなぁ。

【ママー!これ買ってー!】


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『ザ・ルーム』を題材にしたトミー・ウィソーの伝記映画ですがまだキャリア十数年程度で一般的な実績があるわけでもない存命の映画監督なのに伝記映画になるとかレジェンド感やばくないか。長いハリウッドの歴史の中でも前例ないんじゃないかこんなの。

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