コドモ無双映画『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』感想文

《推定睡眠時間:0分》

精神科病院の閉鎖病棟に十数年も入院させられていた見た目はティーン頭脳は小学生の訳あり韓国人ウーマンが突如として人を操る謎の眼力に開眼しという超能力ファンタジーなのだがそれにしてもアメリカ映画における精神科病院=監獄のイメージは2023年にもなってまだ健在なのだなぁとか改めて思わされるところでアメリカ映画を作る人って本当に精神科病院を治療のために役立つ場所として捉えない。

それはアメリカの精神医療制度(よく知らない)を多少なりとも反映している可能性もあるが、やはり根底には精神疾患に対する根深い差別というか忌避感というか、アメリカは精神の不調はマインドセットでどうにかなるんだ的なポジティブ・シンキングによる病の治療という「信仰」の震源地なので、精神病の入院治療というのはこれに反すると同時にアメリカの国是である個人の自由を侵害するものとして、受け入れるに抵抗があるんじゃないだろうか。

これは結構不幸なことだと思うのだが泣きっ面に蜂で更に不幸は重なり、アメリカにおける精神科病院の閉鎖病棟は『蛇の穴』『チェンジリング』(※イーストウッドのやつ)に描かれたように家庭や社会に適応できない女の人を放り込んで矯正するある種の刑罰施設として機能していた過去があり、キャメロンの『ターミネーター2』やジェームズ・ワン版の『透明人間』ではいずれも本当に怪物を見たのに周囲の人間に信じてもらえず閉鎖病棟に押し込まれる女の人が(そして彼女たちを信じなかった男看護師たちがザマミロ的に怪物に殺されるさまが)描かれたが、それはこうした負の歴史をどの程度意識的にかはわからないが清算しようとしての描写とも取れる。

すなわち、アメリカ映画において反精神科病院・反入院治療の思想は、女性解放運動と接続されてしまい、この『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』など典型的に思えるが、精神科病院からの女の人の脱出はつよい白人男性が支配するアメリカ社会から不当に虐げられてきたよわい人々の解放を意味するのである。アメリカ映画に見られる精神科病院への嫌悪はこの二重の「正しさ」に支えられていて、昨今のSNSを中心とするアクティブなフェミニズムの盛り上がりも、こうした傾向を後押しする。ということで『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』は精神科病院を謎のサイキックパワーを駆使して脱出した韓国人ウーマン主人公がストリップバーのシングルマザーダンサーと出会って白人中心・男性中心・そして大人中心の社会に反旗を翻す展開になるのであった。

グッシャグシャとお菓子を貪り後先考えないで衝動的に行動しセックスや性欲の存在を知らず善悪の概念がなく初めての飛行機に目をキッラキラさせる主人公は身体的には大人なのだが子供の権化。子供だからなんでもできる、子供だからこわいものなし、子供だからなににだってなることができる。いいじゃないか、子供の方が大人よりいつだって正しいんだ。そのコドモ志向は映像面にも表れており、明暗のコントラストが強烈で不安定に動き続ける機動性の高い、狭い場所でも思いがけないアングルで登場人物を捉えるカメラは、おそらく一般的なムービーカメラに加えてiPhoneとかも使ってるんじゃないだろうか、大人の固定観念を打ち破ろうとする大胆さと勢いがあった。

そこに乗るのはノリノリのクラブミュージックで、物わかりの良いオトナの映画になどしてやるものかと常にBGMを鳴らして気持ちよくカットを繋いでいく、だからストーリーなんて二の次で主人公が何者でなぜ突如として超能力アイに目覚めたのかなど一切説明されることがないし、説明する気もない。無邪気なコドモ超能力ウーマンがひたすらオトナ世間のジョーシキをぶっ壊してつまんねぇ世の中にミラクルを起こしていく。ファック・ユー・アメリカ! それだけで充分じゃないか! まぁ、充分かどうかは観る人によるだろうが。

この無敵感覚は破天荒と見えて最近のアメリカンヤング映画ではまぁまぁ目にするもので、クラブミュージックの使い方や夜の開放感で『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』と似ている気がしたし、映像の質感や社会の周縁に追いやられた人々の世界におじゃまする点でiPhoneで撮影されたショーン・ベイカーの『タンジェリン』に近い、出たとこ勝負勢い任せのシナリオは急に古い映画になってしまうがダニー・ボイルのハリウッド進出作『普通じゃない』を思わせるところがあった。ってか初期のダニー・ボイル映画全般となんか感覚似てる。ダニー・ボイルも若い感性でイギリス映画界に殴り込みをかけた人だから、時代は変わっても若い監督はこういうことをしたがるみたいなことなんでしょな。

どうなのだろうね。俺が高校生ぐらいだったらこの映画の見え方変わったかな。もっと熱狂できましたかね。それともこんなもんダニー・ボイルの亜流に過ぎねじゃねぇか持て囃すんじゃねぇバカと口角泡を飛ばして貶していただろうか。俺の性格的に後者のような気もするので、逆に大人になった今の方がなんかチャカチャカしてて楽しかったよハハハとおおらかかつ雑に受容できているかもしれない。つまりこれはそういう映画。斬新っぽさを狙っているがゆえにかえってよくある感じになってしまっているところはあるが、ノリがよくて楽しいからあんま深く考えないでダラッとチルな感じでエンジョイしたらいいんじゃないだろうか。ごめんなさい最後の最後で文章を若者感性に合わせようとしましたが無理でした。

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