カフカが静岡を旅する映画『ボーはおそれている』感想文

《推定睡眠時間:15分》

普通の映画の普通になにを含めるかにもよるがまぁ一般論的に考えてもらうとして普通の映画からはかなり逸脱していると思われるこの映画『ボーはおそれている』なのですがその変さにもかかわらず、それも映画の感想なんて週5ペースで書いているからすっかり慣れているはずなのに、とくに書きたいこととか書くべきことが不思議と浮かばない。逆ではないか、普通の映画の方が感想らしい感想なんてなくて「たのしかった!」ぐらいなはずで、変な映画の方がここが変だったあそこが変だったとたくさん書くことがあるはずなのだが。

で、じゃあ仕方がないのでなんで感想を書きたい気分にならないのだろうと考えていたんですが、もしかするとなんというのでしょうなこの映画全体に漲る「考察してネ!!!!!」圧の強さによって、かえって白けてしまっているのかもしれなかった。そう指示されないと映画の楽しみ方がわからないという人もいるだろうが、俺はこの映画はこう観て下さいという作り手の観客に対する要求が画面から透けて見えるような気がする映画というのはあんまり楽しく感じられない。そりゃあどんな映画も人が作っているものであるから観客にはここをこう観て欲しいという要求は大なり小なりあるわけですが、コワイ場面で怖がってほしいとかならともかく、考察してほしいというのは作り手が要求することではないんじゃないだろうか。そういうのは観客の側が能動的にやるべきことで、そんな学校の試験みたいに作り手に促されて考察しても俺は面白くない。だから、なんかそんなアニメな気がしている『新世紀エヴァンゲリオン』などはいまだに一本も観たことがない。

試験的に考察をすれば少なくとも間違いではないであろう回答を提出するのはそう難しい映画ではない。スーファミの名作ベルトスクロール『ファイナルファイト』のレベルで治安がぶっ壊れたシティに住んでいる主人公のボーさんはとにかくあらゆることが不安で仕方がない。必ず水と一緒に飲んで下さいという定番文句の書いてある薬を水なしで飲んでしまったので死ぬんじゃないかとパニックになったりするぐらいだから日常生活が大変そうだなぁと最初は思うが仕事はしてないみたいだし住んでるアパートは広いし実は実家が無駄に太かったことがのちのち判明するのでとくに同情はしないでも大丈夫みたいである。

さてこのボーさんが父の命日かなんかで里帰りをしようとしていたところ「うるさい! 音量を下げろ!」と全然なんの音も出してないでただ寝ていただけなのに理不尽なクレームを隣人から一方的に受け、ボーさんには聞こえない音をどこからか受信してしまっているらしい妄想隣人はそのうちブチギレ。これは木造掘っ立て小屋みたいなクソボロアパートに住んでいた頃に前触れなく隣人が尋常じゃなく泥酔して暴れ回りその敵意が俺を捕捉したことからこのままでは殺されると判断してネカフェに避難、翌朝は仕事もあるので家に戻ったがそれから数日はとにかく音を立てると殺される可能性があるので夜も眠れず一ヶ月と経たないうちに新居に越したという経験のある俺としてはまったく他人事ではないが、それはともかく妄想隣人が自分にだけ聞こえる音に対抗して超大音量でメタルみたいなのを流し始めたのでボーさん眠れず翌日の帰省フライト予約を寝過ごしてしまう。だが罪悪感に苛まれながらおそるおそるごめんママ今日は行けそうにないよの電話をしようとしたところまさかの展開、なんと電話に出たUPSの配達人によりママシボウ、スグカエレのメッセージがもたらされたではないか。エエッ!

この時点ではなんだか変な感じだが(外が『ファイナルファイト』だし)そういう現実もまぁあるところにはあるのかなぐらいなリアリティの『ボーおそ』であったが以降わけのわからない事件が次々とボーさんを襲撃、現実は歪み妄想と悪夢がそれに取って代わる。わけあって全裸で家を出ることになったボーさんは夢とも現とも知れぬなか最終的に実家に辿り着き、そこで初恋の人とはじめてのセックスをしたりママに怒られてしょんぼりしたりビッグチンポおばけを目撃して仰天するのであった。

こう端折って書くとなにがなんだかなのだがさすがに上映時間が3時間もある映画なので実家へと至る童貞の道程はじっくりと描かれ、それを順を追って見ていけばこれが要するになぜボーさんはこんなに不安いっぱいのオトナになってしまったのかを紐解くボーさんの心の旅であったことがわかる作りになっていた。異なる状況で何度も繰り返される同じ台詞や似たような状況の反復は少なくともママ死亡以降の世界がボーさんの強迫観念と自罰意識の作り出した想像の産物であることを示唆している。ボーさんは自分のメンタルの奥深く深くへと潜行しその過程で過去の様々な出来事やトラウマを思い出していくのであるが、その果てに待っていたのがママであった。すべての道はママへと通ず。映画のオープニングに置かれているのはボーさんがママの身体から生まれるその場面の夢であった。

あんがい、わからんでもない。ボーさんのママはおそらくボーさんが変なことに巻き込まれて死んだりしないか心配するあまりあれはするなこれもするなと過干渉になり、その結果思春期ボーさんは強い抑圧感を常に感じ、何に挑戦することも恐れ、いつも誰かに見張られているようなパラノイア気分になったりしたのであったが、俺の母親も甘やかし方向で過保護だったので、頼んでもいないのに部屋のテレビや自転車を新しいのに買い替えたり、いらないと言っても小遣いを年齢不相応に握らせたり、俺が学校で不当な目に遭ってるんじゃないかと学校に抗議に行ったりしていた。

よく覚えているのは友達何人かがうちに遊びに来た時のことであった。なぜそうしたかは覚えていないか友達の前で俺は寝たふりをしていたのだが、すると母親がやってきて、ウチの息子学校でどうですかと友達に聞き始めたのが耳にはいってきた。これは小学校高学年の頃だろうか、それとも中学校に上がっていただろうか。とにかく思春期ボーイの俺は羞恥心で内心激ギレ、友達が帰ったあとに震えながらなんで俺が寝ている隙にそんなことをしたのかと母親を問い詰めると、母親はそんなことしてないの一点張りであった。

という風に俺は育てられたのでさすがに今はそんなことはないし別に母親との仲も悪くないが(大人なので)、高校中退後にとにかく母親の影響下から逃れたい一心で一人暮らしを始めて数年間は、俺に内緒で母親が職場に電話してウチの息子にヒドいことさせてないですかみたいなことを上司に言ってるんじゃないかとか、ときおり妄想して不安に駆られたものであった。実際、成人式のときには母親が俺の小学校のときの友人とこっそり連絡を取り、俺の電話番号を勝手に教えて俺を成人式に誘うよう仕向けていたりもしたので、これはまったく根拠のない妄想というわけでもないのである。

なぜボーさんがボーさんになったのかを解き明かすボーさんの心の旅は最終的にママの教育方針に辿り着くとはいえ途中でユダヤ人の出自も経由する。そこから連想させられたのはユダヤ人作家カフカの『アメリカ』で、これは監督のアリ・アスターも『ボーおそ』を作るにあたって参照しているんじゃないだろか。女中を妊娠させた罰として家を追い出され新天地アメリカで暮らすハメになったヨーロピアン金持ちカタブツ少年の目からアメリカを描くこの小説は、不条理の代名詞であるカフカの作としては例外的に非現実的な出来事は起こらないのだが、外国人金持ちカタブツ少年の目に映るアメリカ社会とそこに生きる人々は理解のできない不条理そのものと映り、やがて少年は無力感に苛まれ身を持ち崩していく、というある意味で『ボーおそ』の時系列を逆にしたような物語であった。『ボーおそ』には裁判のシーンも出てくるのだが、これもまたカフカの『審判』から着想したものなのかもしれない。

もうひとつ連想させられたものは映画じゃなくてゲームの『サイレントヒル2』。今年リメイク版の発売も控える『サイレントヒル2』は、デヴィッド・リンチや安部公房、ヒエロニムス・ボスやフランシス・ベーコンなど、さまざまな分野におけるカルト的なもののパッチワークと言ってしまえば身も蓋もないが、死んだはずの妻から届いた手紙を辿って寂れた湖畔の町サイレントヒルを訪れた中年やもめの主人公が、人が消えてそのかわりになんか変な怪物みたいのが徘徊してる町で妻捜しをしているうちに自らの心の奥深く深くへと潜って行き、それにしたがい町の形も悪夢のように変貌していくというシュルレアリスティックなシナリオは、発売から20年を経た今なお高い完成度を誇るものである。『サイレントヒル2』の洗練された異形の世界に比べたらあんた『ボーおそ』なんか大したことないですよ…というのが俺が『ボーおそ』を観てもとくに書きたい感想が浮かばなかった本当の理由であることは秘密だ。

まぁなんというかね、『ボーおそ』の方はカルト映画的なものを狙いすぎて滑ってるシーンも多いし、なぜ今の自分があるのかということを知るための過去への遡行という単純な骨子を「みんなで考察してネ!」ということで無駄にわかりにくくしてるので、テンポも悪い。この内容で3時間はさすがに長いよ。序盤は次々と変なことが起こるからまだいいけど中盤になると長台詞がずっと続くだけみたいな感じになるから中だるみが激しいし。ホラーというよりもブラックコメディ寄りの作りだが、ギャグシーンもジャンプスケアならぬジャンプ笑かし(不意に変なことを登場人物に言わせたりさせたりする)を多用しすぎ。これならちゃんと100分ぐらいで収まってる分だけ松本人志の『R100』の方が笑えるんじゃないの。ギャグセンス的には『ボーおそ』も『R100』も似たようなもんだと思いますよ。あの全力ダッシュアサシンとか。

そのようなことをまぁ思った。多少長いのは困るとはいえ別につまらない映画ではないので楽しめるとは思うが、といって激賞するような映画でもない。やはり『サイレントヒル2』だね。『サイレントヒル2』の方がいいですよ。オリジナル版はPS2だしHDリマスター版もPS3だから今プレイしようとしてもなかなか環境を整えるのが面倒だと思うんですが、今年発売予定のリメイク版はPS5ですからみなさんお金に余裕さえあれば(お金に余裕さえあれば)わりと手軽にプレイできると思います。リメイク版『サイレントヒル2』、よろしくね!

※あとこれずっと思ってるんですがA24でホラーっぽい映画撮る人みんなデヴィッド・リンチに憧れすぎだと思う。

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匿名さん
匿名さん
2024年2月19日 11:40 AM

まさかのサイレントヒル2販促オチ…!
配信中のデモ版の感想もぜひ…
あれもA24ぽいっちゃあぽいですが