ドルオタ大戦争映画『ランボー ラスト・ブラッド』感想文

《推定睡眠時間:0分》

前のランボーの公開は十年くらい前のことなのでもうすっかりランボーの軌跡を忘れてしまったなと過去作映像を要所要所で引用(弓放つところとか)した字と音のでっけぇ予告編を観ながら思っていたが考えてみればランボーの2と3は観たことがないのだった。つまりバカと爆発の方のランボーは観てない。観ているのは1と4の切なシリアスランボーだけなのでだいぶランボー観が偏っている。

全世界のランボー者のみなさんにとってはランボーといえばキリングマシーンでしょうが1と4しか観てない俺にとってはまだギリで無理矢理戦場に駆り出されてトラウマを引きずる可哀想なベトナム帰還兵なので…あれだね、今回ランボーに虐殺されるメキシコのざっくりした感じの人身売買組織のみなさんはランボーを知らないので糞ナメてかかって血と内臓を吐きながら頭部を刈られたりしてくたばっていったりしましたが心情的にはむしろそっち寄りだよね。誰だよこの危ないオッサンwwwみたいな。そのギャップで笑っちゃったよ後半の大暴れっぷり。

だって前作シリアスだったんだもん。最後とか沁みたよね。故郷を失ったランボーがついにホームに帰ってあぁよかった、これでさまよえるランボーも魂の安息所を見つけたんだ…みたいな。そこから今度はこれですよ。何度でも言うけど1と4しか観てないんだよ俺は。そしたらランボーそういう映画だって思うじゃん。こんな大人の『ホーム・アローン』みたいなの予想してないからこっちは。無意味に凝ったデストラップをご丁寧に一個一個発動させていってメキシコのランボー者たちグシャー! 肉塊化! わははバカな映画だなぁ。しかも続編作る気でやんの。いやもういい加減ランボーを家に帰したれよスタローン! 俺はランボーに愛着とかないけどむしろ物語的な意味で言ったらスタローンの方がランボーに愛ないだろ!

冒頭なんかちょっと『デイライト』入ってたしな。ランボーが災害救助ボランティアに入って人助けに奔走しているんだがキャラが違いすぎるだろ。いや、意図としてはわかるよ。ランボー今まで人ばっか殺してきたから残りの人生ではたくさんの人を救ってあげたいって思ってるんだよね。それで血に汚れた自分の過去を少しでも綺麗にしたいんですよランボーは。それはわかるけどスタローンがキャラを分けないから『デイライト』も『ロッキー』も『ランボー』も『コブラ』も『エクスペンダブルズ』も全部ランボーに入っちゃってそこはもうちょっとランボーという人間を大事にしてやれよって思ったんだよ俺は。そこを大事にしないからなんかセルフパロディみたいになって笑えちゃうんだよ。

でもあえて笑われることで人々の心にランボーの存在を刻みつけたい…ということかもしれないからそれならその覚悟はすごい。その方向性で大丈夫かどうかはわからないがやっぱりスタローンはすごいと思う。

< お話としてはそれなりに深刻なんですよ。なんかランボーいつの間にか子供がいる。これはメキシコで拾った養子で前田敦子に似ている。でメキシコの前田敦子は17歳ぐらいになったので家族を捨てた父親に会って本音聞きたいとか言い出す。ランボーは反対するが前田敦子はメキシコ・コネクション(友達)を使って父親の居場所を割り出して、それでランボー農場のあるアリゾナからメキシコに入るんですがメキシコに入った米国人は映画の中では全員死ぬか拷問されるので前田敦子も人身売買組織に囚われてしまいます。たいへんだ。 それでランボーは急にいなくなった娘が心配だからダッシュでメキシコ突入。父親を紹介した敦子の女友達を尋問し(ここでドゥゥン…の効果音)父親に会ってテメェはぶっ殺しとけばよかったなとだけ言い残して帰ってしまう。いやまずそこを疑えよ! まぁランボー戦場を渡り歩いてきた男だから犯人をサーチする嗅覚が備わっているんだろう。敦子の女友達からのざっくり情報を手がかりにおよそ10分程度で敦子を誘拐した組織のボス兄弟と対面、愚直にも敦子を解放してくださいと言ってボコボコにされる。ボコボコにはするが殺さないでくれたのでこの組織は良い悪い人たちだと思うがその後みんなランボーによって肉塊にされる。 やはり平和的解決など無理だった。かくしてランボーは人身売買組織の単独殲滅作戦を開始する。その間、命がけで取材を続ける女性ジャーナリストや敦子の継母みたいなおばさんや勢力拡大を狙う人身売買組織が取引を持ちかける大物犯罪者など色んな人たちが出てくるが最終的には全員忘れられて映画はただ単に肉塊舞い散る惨劇場と化す。切ない話である。ランボーは結局人殺ししかできないのだ。切ない話のはずなのであるが展開がメキシコ麻薬カルテルの斬首よりもざっくりしているし優しい義パパからキリングマシーン変化を遂げたランボーがあまりに楽しそうに人を殺すので悲壮感は基本的にない。新型コロナ前のアメリカの劇場でやってたらデストラップが発動するたびに陽気なアメリカ人たちは歓声をあげていたに違いない。 それにしてもランボーの前田敦子への思い入れは尋常ではない。尋常ではないのだが出会いから今に至る過程は二三のセリフで説明されるだけなのでなんかえらくよくある話のように思えてしまう。よくある、というのはベタという意味ではなく「こういう人いるよな…」みたいなことである。これでは中高年ドルオタだ。何か事情があって人生を棒に振った中高年がそれまでまるで縁の無かったアイドルの公演をたまたま目にしハートを火のついた弓矢で射貫かれてしまったような感じである。 < 中高年ドルオタは本気だから紳士だ。金さえ渡しゃ好きなだけアイドルに迷惑をかけていいしいくら粘着しても許してくれると思っている糞若造ドルキモオタどもとは違う。だからあえて感情は表に出さない。スタローンのようにだ。オタ芸もしない。そんなものはしょせん根性のないオタクどもが群れて安心感とか帰属意識を得るためのものでアイドルのためではなく自分たちのためにやっていることでしかないのだ。地蔵。それが中高年ドルオタの矜持だ。今や性欲の捌け口ではなく脱げるアイドルと化しているストリップにおいてもプロのフアンはあえて本命嬢のショウでは場内に入らずロビーから客席の反応をチェックして外から嬢を見守ると聞く。 だが彼ら地蔵中高年はアイドルが危機に瀕した時には誰よりも素早く立ち上がるだろう。アイドルに向けられたオズワルドの銃弾をその身で受け止めるだろう。愛は求めるものではなく与えるもの。愛を与えられるのは俺たちじゃなくてアイドルだ。だって愛を取ると書いてアイドルじゃないか…それがドルオタの精神ではなかったか。アイドルは俺たちを愛さなくてもいい。だが俺たちは命を捨ててでもアイドルを愛す! 『ランボー ラスト・ブラッド』に感じたのはその気高きオタクマインドであった。なんか途中からスタローンがロマン優光に見えた。 まぁ、そう見えちゃったらもう仕方がないね。ランボー燃えてましたがそれ以上に萌えてました。推しドルの敦子に何かプレゼントあげたいからって渡すのが自分で掘った秘密基地トンネルに設けた火事場で作ったレターナイフですよ。敦子が最近なんだか楽しくなさそうだからって接近したら反射的に殺害してしまう可能性がある糞同級生男友達を招いてのパーティをランボーにとってのオタク部屋である秘密基地トンネルで開かせてやるんですよ。なんて愛のある! だが愛を向ける方向の間違っている! この間違い方はオタクそのものじゃないですか! 化粧の濃い女は全員悪いとかヤンキーみたいな格好をしてるやつは全員悪いとかその価値観オタクでしかないじゃないですか! あとあの娘なんであんな前田敦子に似てるんだよ! やっぱ世界的にオタクはああいう顔が好きなの!? 何度も繰り返すようだが前作がミャンマー軍部の少数民族弾圧というハードなテーマを扱っていたのにまさか今回はオタクの生き様テーマだなんて。でも1作目のランボーもオタクっぽかったからウン十年の時を経てついにランボーが己の居場所を見出したということなのかもしれないし、それだけに表面的なバカさの裏に隠れた哀しみは深かったかもしれない。敦子を組織に奪われて失意のランボーはちくちくとDIYしてきた秘密基地や貯蓄してきたガジェットのすべてを組織壊滅のために使うことにする。迷いはない。敦子のためなら本望だ。 それは言ってみれば今までフィギュアとアニメの世界に生きてきたオタクが打てば響く二次元の母胎空間を捨て、どれだけ愛しても見返りなんかないかもしれない三次元のアイドルのために尽くすことを決断した瞬間であった。ようやくホームを見つけたランボーは今や再びホームを捨てる。いわばドルオタ出家であった。このオタクの哀しみよ。このオタクの崇高よ。その先に待ち受けているのは救いか破滅か。答えは秋元康のみぞ知る…次回作に乞うご期待(※続きます) 【ママー!これ買ってー!】


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大枠でいえば同じようなお話ですが役者の息づかいのひとつひとつを逃すまいとする石井隆のしっとりとした丁寧な演出が紡ぎ出すドルオタ&アイドル哀歌は痛切きわまる。映画は撮り方で変わるものだ。

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